女風対談【ビダン×エイタ】女性用風俗・女風の性感サービスって必要なのか?【後編】

女風対談企画第一回目は、FEMTASYのコラムでもお馴染み、ストロベリーボーイズ所属のエイタさんとBeauty&Beast所属のビダンさんが遂に初対面!後編では活動休止中のエイタさんの今後について、そして2人の女風のお客様や性感に対する考えなどを語ってもらいました。気になる方は是非一度読んで見て下さい。

↓前編を読んでない方はこちらをチェック↓

目次

自分に求められるもの

ビダン:率直に今後どうされていかれるんですか?

エイタ:今後は性感をしないセラピストとして活動を再開する方向で、ようやく決断することができました!現在は再開するにあたって準備を進めているところです。

ビダン:エイタさんらしいご決断ですね!

エイタ:約5年セラピスト業を経て、僕が本当にやりたかったことは、対話でお相手の思いを引き出すということだと自分の本音を知ることができました。女風を訪れるには様々な理由があり、頭の中と心を整理する役割を担い、再認識や新たな気付きを提供していきたいんだなと、

僕自身、今まで性感だけで支持されてきたわけでも、そこで売っていたわけではありませんでした。自分のことを求めて下さったり、支持して下さった方々の気持ちにしっかりと向き合うことの先に性感を手放す。という答えが見えてきた感じです。

ビダン:僕も始めた当初は、人気商売といいますか、ルッキズム的な見た目の優劣だけかと思っていました。4年間続けてみて人間性の部分を深く考えるようになりました。

エロ屋なんだけど、世論が思う風俗って感覚じゃなくなってくるんですよね。自分のマイノリティである。丁度いい言葉がみつかりませんが、精神的な繋がりを持たず、希薄な関係になってる人が多いといいますか。人間としての孤独さっていうのかな。誰しもあるものだと思うんですが、そういった感情を少なからず受け取ることが多かったからだと思います。

エイタ:女風を利用するきっかけって誰しも決して貧弱な状態じゃないんですよね。呼吸できないわけじゃなく、ちょっと今が息苦しい時。一人でもそれを整える術はあるけど、ここがあれば気持ち的にも楽になる、みたいな。

ビダン:僕も自分を卑下したり、笑いに振り切ってツイッターを楽しんだりするのも、ある種の気楽さに繋がって欲しいって概念があるんだと思います。大丈夫なんだと、ホッとする感覚といいますか。笑

エイタ:そうですね。快楽以上に心の安心を得にきてる人が多いなと感じます。自己肯定感って言葉がわかりやすいかもしれないですね。自己肯定感ってあくまで状態を表すものだと思っていて、上がる時も下がる時もあるし、上がっても日々生活していると、それを保つことは誰しも決して容易ではないんです。正直、自己肯定感爆上がりの時に女風を利用することはあまりないと思うんですよね。

ビダン:確かに爆上がりの時に女風を利用しようとはならないですよね。笑

エイタ:でもだからといって女性を幸せにするとか、癒せるとか、与える意識を持ったことはないです。それは、僕が与えるものではなく相手が感じるもので、自分で掴むものだから。女性はそんなに強くもないし弱くもないって思っています。

ビダン僕も幸せとか幸福をとは思わないんですけど、思い出と学びにはなりたいとは思いますね。

エイタ:女風を通じて、僕達と話すことで気力をチャージして、考える力、探す力を蓄えてその先にある日常というフィールドで掴むことが本質的には大事なのかなと感じます。

使命ということではないんですけど、そこのサポートにはなり得ると感じていて、より対話で向き合い、今以上に言葉に責任をもって接していきたいという思いが芽生えたんだと思っています。

性感に対する価値観

ビダン:没入感と解放は一緒だと僕は思っていて、自分の世界に夢中になる。没入感を作るにはセラピストも一緒に没頭することが必要で、一緒につくる。ある種のトランス状態。何をしてもどんな私でも許される。その没入感を作るために、性感と対話を活用して創り出すって感覚でいて、性感があると早くその没入感を作り上げられるなと感じています。またこの没入が孤独感に効く。あとは瞑想みたいに無になることですっきりする感覚。その作業代が、お金を頂く価値(理由)みたいな感覚かもしれません。

エイタ:確かにそうですね。没頭もそうですし、会話においても女風は1人では消化しきれないことを言えることが価値だったりしますよね。

ビダン僕の中で言葉(対話)と性感はあくまでグラデーションで差がないといいますか、区別してなくて、実はコラムも一種の官能小説って感覚で実は書いてたりします。笑

エイタ:身体と心も表皮一体、グラデーションですね。僕も性感があることで創り上げれる時間や性感マッサージにおいては女風の醍醐味であるのと同時に、セラピストとして人の体に触れているのではなく、心に触れているんだと自覚すればするほど、とても奥深く難しいものだなと感じてきました。

また互いに分かってはいるものの、性病というリスクを渡しかねないセラピストとして施術を5年近く続けることは容易なことではなく、大切なお客様を守れないのなら”そこ”を降りようと決意した背景もあります。

やはり腹を割って話すといいますか、性感後のリラックスして心が解かれた状態になることは、僕が大切にしてきた対話に到るまでに大切なプロセスでもありましたし、性感をしない決断をしたものの、性愛には本能的に多くの人が欲しいと感じる沢山の感情が交差される場所のではないかなと感じています。

ビダン:僕も本当にそう感じていて、女風って業態じゃなくて場所だなって思います。
働いていたり、日々何か役目を背負い続けて生活していると、自分のことって話せないじゃないですか。友達と話していてもキャラやらなきゃいけなかったり、空気を読めって言われる。そういったものごとを脱げる場にするために、僕は性感というリスクを越えた享楽を選択することにしましたね。やり方はそれぞれあると思います。

リスタートへの想いと感謝

エイタ:常に自分に向き合うことがセラピストを続けていく中でいつしか重要になり、気づいたら5年という月日が経過していましたが、活動を休止し立ち止まって今感じることは、相手の価値を見出すこと以上に、僕自身が相手から価値を与えてもらっていたんだなという感情でした。僕自身完璧なわけではなく、こんな僕の独自の世界観を受け入れて下さったり、支えて頂いて今があるんだという感覚です。

1人でも見てくれている。支持してくださる方がいて、今もこうして存在できているんだなと改めてエイタというセラピストを知ってくださっている皆様に感謝しています。

今は新たな再スタートのきっかけに性感に替わる技術取得に励んでいます。再開後は今まで以上に、より多くの誰かの何か(きっかけ)になる対話と発信に、自分のためにも相手のためにも全力で向き合っていきたいと思います!

ビダン:お客様とはいつしか深く入り込む間柄になっていて、そういう仕事なんだと思って働いていました。しかし、そういったものはあくまで役割意識みたいなものに僕が執着していただけなんだと五年目に達して気がつくことができました。痛みを越えて、それでも会いたいと選択してくれる方々がいてくれたからこそ僕はこの仕事で飯を食えている。性愛とはそうした役割であったり損得が働くような単純な感情ではなくて、もっと大きなものであると教えていただきました。

所詮性風俗であって、サービスであり金の絡む関係性であることに変わりはないのですが、それらを越えた純粋な感情の発露に応えられるような存在で在り、場を作っていきたいと思います。

エイタ:ビダンさん本日はありがとうございました!とても意義ある時間になりました。

ビダン:こちらこそ、対談いただきありがとうございました。いい刺激をいただきました!


現場のストロベリーボーイズ・エイタとBeauty&Beastビダンからは以上です。

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