『足りないもの。』~エイタの車窓から~vol.2
とても不思議だ。
『施術』という明確な目的があって来ているはずなのに…
施術前のカウンセリングの時間を重ねてその核心(理由)的な部分に触れて話を聞き進めていき、少し散らかっていたりボヤけていた心や頭の引き出しの中を相手と僕でゆっくりとアウトプット・インプットを繰り返しながら整理していく。
すると、それが終わる頃には”今日はもう話せただけでも満足な気がしてきました”というお声は決して少なくない。
普段は周りには見せられない『心の局部』を見せたり・言えたりすることでスッキリすることもある。
それを僕はここで学んだ。
男性は肉体的に出さ(射精し)なきゃ満足出来ない人がほとんどだけど、
女性は精神的に自分の心の中にある”溜まったそれ”を出すだけでもある程度は満足感を得られる(のでは)、と経験上考察する。
もちろん『心』と『体』のバランスあっての”満足”なので肌と肌を触れ合わせることも大切。
…カウンセリングに話を戻そう。
話を聞く中でここを訪れた理由で最も多いのが『セックスレス』である。
レスで溜まっていくものは蔑ろにされた『性欲』だけだろうか…
自分が女性として魅力がないかもしれないという確認しようがない『不安』は?
下がり続ける『自己肯定感の低さ』は?
それによる『ストレス』は?
または『憤り』は?
それが一つじゃないことは確かだと言える…
この状態でパートナーにどう優しく接することが出来るだろうか。それでも献身的かつ一方的に”この俺”に愛情を注げということだろうか。
なんだか馬鹿らしくなってしまう…
本当に世の男性は何もわかっちゃいない…
しかし、そんな僕も実は偉そうなことは決して言える立場ではない。自分の恋愛を文章で公に綴るのは初めてだ。
恥ずかしくて気後れしてしまうけど…
これを偉そうに書く僕もわかっちゃいなかったということをここに記させてほしい。
20代の頃、5年付き合っていた彼女と別れる1年ほど前からレスだった。別に他所で浮気をしていたわけではない。
正直そこまで”それ”を重大なこととは捉えていなかった。なくたって仲良く居られるし、女性というより家族に近い存在になっていた。関係性的には家族のように親密になったことはステージが1つ上がったような感覚でさえあった。
レスについて話し合ったことはない。彼女からそれを咎められたことは一度もない。
ただ『何かのサイン』を見逃し続けていたことは振り返って今になって痛感する。
あの頃もし、レスについて話し合うことが出来たなら僕は彼女の言葉のどこを『真芯』と捉えるのだろうか。
“エッチがしたいのね”になってしまわないだろうか。”そんなことくらいで”と事態を軽視しないだろうか。”性欲強いね”と安易に傷つけてしまわないだろうか。”忙しいから”とそれらしい言い訳を取って付けてしまわないだろうか…
ちゃんと真意を聞く耳を持てただろうか。
伝えてくれた彼女の恥ずかしさや勇気、切なかった思いを丸ごと誠実に受け止められただろうか。話し合い同じ方向を見てまた再び重なり合うことは出来ただろうか…
今ならわかる。あくまで正解ではなく自分の答えに過ぎないけど。それはセラピストを経験したからこそ。
何百ものノンフィクションのレスという生き様を聞いて感じて胸に焼き付けてきたから。
『女性と男性の関係』でずっとあり続けるにはきっと『努力』が必要になってくる。
そう、オンナとオトコの距離感を保つ努力。
わずか5年という刹那ですらそれが出来なかった。
すべき努力は他にもたくさんあるけど
【自分を男性として見続けてもらう努力以上に相手を女性として見続ける努力】
僕にはこれが圧倒的に足りていなかった。
女性としてのリスペクトが欠けていた。
一番女性として見てほしい人は誰?
感じてほしい人は誰?
他の誰でもない隣にいる好きな男のはずなのに。
意識しないとさ、やっぱり時間という不可抗力がのし掛かって”なぁなぁ”になっちゃう。
ずっと気張りながら一緒にいるってことではないけどさ。一緒に居続けてメリハリ付けるなんて一番難しいけどさ。だから異性として見続ける意識、努力が必要なんだと思う。
何もせず自分のことをずっとずっと変わらず好きで居続けてくれるなんて、そんなの虫のいい話だと思わないか?
あの頃の僕と世の中の男性たち。
僕は彼女のホックも外さなければ心の局部さえも見ようとしなかった。
ここを訪れる女性の旦那さん、彼氏さんと何ら変わりがない所詮はそんな男。
過去を振り返りこのコラムを書いている今、奥歯に相当な圧力が掛かっていることに気付く。
自分の情けなさが溢れてこないように無意識に食いしばっていた。
元々あったものが減ったりなくなったりしたらさ、人ってそれに敏感になる。増えていくことよりも減ったりなくなったりすることに人は敏感になる。
レスを話し合ったり、悩んだり、憤ったり、開き直ったり、吹っ切ったりする女性を見せてもらってきた。
そのパートナーの言動も聞いてきた。
自分も過去同じことをしてきたし同じ思いをさせてしまっていた。
だから、どちら側にもわかることが今は多い。
レスの境地で感じることは
『女性としてこのまま終わってしまうのか…』ということ。
ほとんどの女性がそれを口にする。
そこに年齢は関係ない。
おおよそ、人が何かに気付く時というのは失くした時ではないだろうか。
失くしたものは何だろう…セックス?
いや、それは女性としての『実感』かもしれない。
『性欲=セックス』
これは決して真芯を捉えた答えではない。
“セックスしたい”という成分には
”女性であることを実感したい”という思いが根底に大きく沈殿していると考察するからだ。
セックスレスで蔑ろにされてしまっているものは【女性として生きている実感】ではないだろうか。
もちろん、オシャレやメイクや他のことでも”その実感”を得ることは出来るけど、セックスで得る”その実感”は代替不可能で唯一無二であることは読んでる方にも頷いてもらえるような気がしている。
人として称賛を受けたり、社会人として承認されることも幸せだ。人として、社会人として、妻として、母としての称賛、喜び。
『それだけでもきっと不満なわけではない』
『ただすべてに満足しているわけでもない』
やはり、女性としてオンナを実感したいと思うことは当たり前のことではないか・・女性としての実感、悦び。
それは不思議なことではない。
この記事を書いた人
エイタ
老舗女性用風俗ストロベリーボーイズ東京の人気セラピストであり、ベテランセラピストでもあるエイタ。彼のファッション性やフィルム越しの世界観は多くの人を魅了する。