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『女というもの』ビダンの独り言〜vol.2

雨は夜更け過ぎに、雪へと変わるだろう。

街は色とりどりのイルミネーションに溢れ、行き交う恋人たちが身を寄せ合っている。

東京とて十二月ともなればその寒さもひとしお。

冷える体温を寂しさの表現形としてつけ込む性風俗業界は掻き入れ時。

ゆるむ体と財布の紐。
そして転がる有象無象。

男と女。
我、コレヲ金ニセント奮戦ス。
時ハ金ナリ。

なんて嫌な大人になったもんだと吸う煙草は美味い。

感傷に浸る暇をくゆらせれば
冬の風が煙を運んでいく。

師走の夕日は読んで字の如く早く、伸びる影が甘く憂鬱を写した。

女性用風俗とは、この如何ともし難い憂鬱と残念ながら相性が良い。

寂しさや憂鬱をSNSにこぼすユーザーが多いことも相まって、キャストの持つ女性へのステレオタイプが色濃く反映された写メ日記や取材記事なんかが多く散見される。

女性は社会的弱者で、寂しさに溺れ、男を求めているから女性用風俗なんかを使うのだという爽やかな差別意識と、オールドタイプのカテゴライズが令和の世となった今でさえ残っていることに驚くことも少なくない。

何より、それをサービス提供側やそれを取り巻くポータルサイトやライターなんかが発信拡散していることに僕はいつまでも慣れそうもない。

ちなみにここで言いたいことは、女性はそんなに弱くないとか言う反対サイドの差別を助長するようなことではない。

この主張は「何故、孤独や寂しさを抱えるという文言が”風俗の客”であることに強く結びついてしまっているのか」である。

顧客の分類が女性であるとなった途端に、女性に対するステレオタイプや、か弱い女性というカテゴライズが無造作に結び付けられていることにも辟易としている。

確かにSNSを扱う人々の中にあっては、憂鬱や寂しさや孤独を吐露する人が多く見られる印象はある。

しかし、相手が”女性”となった途端に「可哀想な女性達を僕たちが癒します」のような態度になるのは何故なのだろうか。

女性用風俗ユーザーは傷ついているのか。
女性はか弱く、その孤独に耐えられないから男に金を払うとでも思っているのだろうか。

慈善事業でもしている顔で美辞麗句を並べ立てる態度の文章が礼賛されることに違和感を覚えているのは僕だけなのだろうか。

「女性はこういうものが好き」という固着した思想や浅はかな脳内モデルが作り出したターゲティングは「自分の言うことを聞いてくれる便利な女」でいてほしいという見下しの表れとはどう違うのか。

相手が女性であるとなった途端に”女性である”ことを必要以上に強く意識してしまうことはある。

しかし過剰にわかりやすい言葉を選択するその態度はさながら”子供”を相手にするようでもある。ここで言う”子供”とはまさしく社会的弱者のメタファーであり、わかりやすい見下しの表面化でもある。

僕は「寂しさ、孤独を抱える人」と「社会的弱者である」ことを混同せず分けて考えてほしいと思っている。

男であれ女であれ、寂しいときも憂鬱なときもあるものだ。

人肌恋しいという感覚は社会的動物であるホモサピエンスとして正しく、そこに性差がないことは明らかである。
寂しいと感じるから弱者ではない。

それはつまり、性風俗に頼る人間がイコール弱者ではないことになる。

そもそも、人間を強いと弱いで分けて考えていることが大きな過ちなのだ。

利用者が男性であろうと女性であろうと、風俗を利用する人間というだけで強いだの弱いだのという何かしらの能力やアイデンティティと結びつけようという試みそのものは侮蔑的な意味方向にあることは言うまでもない。

我々キャストの相手は個であり、それぞれの生活があり、仕事があって、家族がいる。

個にそれぞれの生活があるならば、女性用風俗の利用動機もそれぞれ違って存在することは考えなくともわかるだろう。

そこに「女性とはこういうものである」というステレオタイプを持ち込み、それらしい女性が来たのならば、それはキャスト側が用意した女性というモデルに相手が準じてくれているに過ぎないのだ。

我々の目的は断じて女性を癒すことではない。
我々の目的は目の前の人間と一対一で対峙することにある。

一対多の情報発信も仕事に含まれるのは確かだが、本質は一対一を繰り返して金を稼ぐことに変わりはないのだ。

身体的な性差はそこにあっても、社会的な意味での女性をベッドの上に持ち込むことは野暮だろう。
我々は平等に寂しく、弱く、憂鬱であり、生活に悩む人間なのだ。

ハイヤーだのロウワーだのは僕たち二人の関係においては必要のない条件だ。

恋人たちが身を寄せ合いイルミネーションがそれを照らすユートピアの外にあって
わざわざ薄暗い部屋に引き篭もる僕らにとって、それが何を意味するかなんてことはどうでもいい。

ただ触れてほしいし、もしくは触れていたい。

それによってどうあるとかは関係なく、情けない個であることを隠さないために僕は服を脱ぐのだ。

この記事を書いた人

Bidan(ビダン)

Beauty&Beastの看板セラピストであり心理カウンセラーでもある人気セラピストBidan(ビダン)独自の世界観で活動する彼には女性だけでなく、セラピストからも支持される唯一無二のセラピスト。

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