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『違和感』〜女風セラピストビダンの独り言〜 vol.1

日の暖かい午後に喫茶店でのんびりしている。

都会の社交場ともなれば
あちらこちらで商談の話ばかりで、せかせかと正確に急ぐ秒針のような話し声が響いている。

こういう日くらいゆっくりとコーヒーを飲んで過ごしたらいいよと言っても嫌みたらしい。
彼らには彼らの速度があり、守るべきものや生活があるのだから、僕のような能天気に苦言を呈されても失笑を買って終わりだ。

しかしそんな能天気な僕を捕まえてコラムを書いてほしいと言われたときは正気か!?とびっくりした。
細々とやっているキャストを捕まえて何を脅されるのかとビクビクしていたが、好き勝手に書いていいと言われたのでこうして好き勝手書いている。

何か有益なことを書こうなどとは一切思っていないので僕の無責任な文章をどうか気軽に読んでほしい。ちょっとしたコーヒーブレイクのお供にいかがだろうか。

僕は女性用風俗のキャストを努めてもうすぐ丸四年になる。
四年ほど続けてようやっと一周したようだ。

一周というのは、女風キャストとして苦労とか喜びとかをやっとこさ整理できるようになってきたような気がするという意味で。

もともと心根の弱い人間である僕がこの仕事を4年も続けられたのは僕の七転八倒を見守ってくれていたお客様や友人ありきの話であり、感謝してもしきれない。

さて皆様にとってそんな女性用風俗とは一体なんであろうか。女性からすると、いっときの癒しかはたまた刺激の補填か、もしくは心の解放や休息だろうか。

キャストにとってはどうだろう。金を稼ぐためのツールというのは、生活がある以上どの仕事をしていても根底にある思惑なのでそんな野暮な理由は隅に置いておこう。

単純にお金を稼ぎたいという気持ちであれば恐らくこんな効率の悪い商売はしないだろう。時間売りの商売はプレイヤーの仕事であり、我々はいつだって請負の末端なわけなのだから。

幾人かのキャストの中には求められることに気持ちよさを見出している人もいるだろう。

分母の少ない界隈の小さなコミュニティではあるが、自分が出した意見や思惑に反応してくれる人がいるというのは多少快楽を伴うだろう。自分が出した言葉に酔いしれる人がいてくれるのであれば喜びもひとしおだ。

世間的にはダーティワークスの部類に入るこの性風俗産業において、それを応援してくれる人々がいるのは心強いことだと思う。そうして求められて出した言葉たちは、また幾人かの女性の自尊心を高めるような文章になるだろう。

求められるためには誰かにとってそれが都合の良くなることを言うか何かしらカッコつけたことを言う必要がある。

美辞麗句を並べ立て、「だからあなたは悪くない」とか「恥ずかしがらなくていい」とかを誇らしげに散りばめれば賛美の言葉を幾らか頂けることだろう。

しかし、そこまで並べ立てても何かしら違和感が残る。胸に一瞬の疑問符が走る。「本当にそうか?」と。女性用風俗とは困っている人間を救うような仕事だろうか。

女性用風俗を務める上で、こんなにも利用者を擁護しなければいけない気持ちになっているのは何故だろうか。

利用するのに後ろめたさを感じてほしくない?否、働く上で後ろめたさを感じたくないのではないだろうか。そのための長い言い訳を延々と書いているような気持ちにならないだろうか。

我々がやっている仕事というのは絶対に立派なものではない。そこから目を背ければ背けるほどに何かを置き去りにしているような気がしてこないだろうか。

確かに我々は求められる。ハッキリと言葉で賛美されたり認められたりする。

インターネットでも、対面でも。彼女達の中には確かに救われたような気持ちを持っている人も少なくはないかもしれない。

しかし同時に寂しさも植えつける。

最初のうち、それが芽生えるまではわからないほど小さな違和感だが、いずれ確かな孤独となってのしかかる。そうなったとき、我々は相手を傷つけることになる。少なからずその寂しさを恨む人もいる。

そうなれば我々は立派な”敵”になるのだ。

どんな言い訳をしても目の前の人から戴いた金額は確かに財布を潤し、多少良い物を食べ良い服を着ている我々にのしかかってくる。

寂しさを埋めるというお題目の下、それを金に変えた結果はあまり幸福なものにはならない。

人を癒したいという心には、後ろめたさを払拭したい下心がついて回る。そうでなければどうして、自分が如何に素晴らしいことをしているかとのたまうことが出来ようか。
我々の後ろめたさは、社会的に容認されないことに起因する。一般的には親や友達や恋人に胸を張れないような仕事であるだろう。

そういう逆境の中にあって求められるのであれば、必要だと思ってくれる人々がいるのであれば、あたかも自分が善行をしているような気分にすらなるだろう。あるいは扇動とも導くとも言えようか。

財を成して立派になったような気持ちになる人もいるかもしれない。実態はその裏で何人か泣いている。どんな理由があれど、それは事実に違いない。どんな言い訳も正当性も通用しない”業”のようなものだ。

この文章もまたそういった長い言い訳の一面なのかもしれない。

もちろん、全員がそういうキャストという訳ではない。距離感を考え、技術を磨きいわゆる健全性を声高に謳うキャストも増えた。しかしだからといってそういったキャストだけが求められるような業界にはならないだろう。

男女に関わらず、性を扱うということは下心を扱い容認することも含む。健全性を掲げれば健全で在りたい人は残るだろうが、
そうでない人は必ず溢れ落ちる。

なればこそ性風俗というものはダーティワークスでなければならないし、同時に敵でならねばならない。

女性用風俗は歓迎されない組織であって、誰かにとっては都合の悪い存在であることに違いはない。
我々に市民権は要らないのだ。

僕が泣かせた人々のことをたまに思う。ある人は「死ねばいい」と言い、ある人は「無責任だ」と言った。

当然のことをした。

求められることに溺れ、過信し慢心した僕に落ち度がある。正直言って後悔はしていない。そういう自分の弱さが今の自分を作っていることも事実であり、その弱さの証明に役立っている。

だが、どこまでもついて回る思いはある。被害者ぶるつもりも言い訳を重ねることもしたくはない。

少し話は変わるが、こうして書いたものは人に投げかけているようで自分に投げかけているなとコーヒーを啜りながら実感している。

悲しむ人を増やしたくない、とは思っていない。性愛の業とはねじくれたり偏向したりするものだから。
ただ愚かな自分はそういった業の前で何もかも手放して、人間の下心を抱き締め、優しさに涙し、欲に溺れて、暖かみを感じていたいと欲している。

数多の人々の渦の中にあって、飲まれ、溺れて、プカプカと浮いていたい。

実はそういった時間の中でさえ、一縷の希望があるものだから。

この記事を書いた人

Bidan(ビダン)

Beauty&Beastの看板セラピストであり心理カウンセラーでもある人気セラピストBidan(ビダン)独自の世界観で活動する彼には女性だけでなく、セラピストからも支持される唯一無二のセラピスト。

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